35歳になりました。少しだけ赤裸々に語らせてください。

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先日のことですが、僕もついに35歳になりました。
しなくてもいいのに四捨五入して「あぁもうアラフォーなんだ…」という気持ちでいっぱいです。
自分の話ばかりするのも気がひけるんですが、
今回は、社会人生活を少しばかり振り返ってみようと思います。

この記事の目次

最初の仕事から得たものは

大学を卒業して岡山に戻り、最初に勤めていたのは一般顧客向けのインターネット光回線の営業職でした。

正直な話この職場は完全なブラックで社員の使い捨てが激しく、
知識や技術として得られたものはあまりありませんでした。

「本当の意味での仲間」

けれど、そこの職場にいた同僚とは言葉では表現できない絆のようなものがありました。
社会人として本当の意味で「仲間」と感じられたのは、
後にも先にも彼らだけだったような気がします。

余談ですが、嫁と出会ったのもこの頃で、
就職していなければ彼女とも出会っていないんですよね…。

そういう意味では、かけがえのない時間を過ごしていたんだなと思います。

ネットの素晴らしさや便利さを体感

営業職なので当然こちらがお客様にご提案する立場のはずなんですが、
数字が取れなければ自分で契約をするという優秀なブラック企業でした。
きっかけはどうあれ、ついに自分の家でもインターネットを使うことができるようになりました。

企業はブラックですが、インターネットはやはり便利でした。
急激に発展していたタイミングだというのもあったんですが、
今後は社会の中心にネットがあるんだろうなとぼんやりと考える日々でした。

じっくり自分を見つめ直す日々

営業職の退職意思を決定づけた出来事で精神的に病むことが度々あり、
しかも原因が自分にあるために自分を責め続け、辞めてから、しばらく引きこもりに近い生活をしていました。

いいものも悪いものも含めて、
一切のつながりを断つために外の世界と自分をシャットアウトし、
何もせずに一日中ぼーっとしていた気がします。

元同僚が気づかせてくれた「やりたいこと」

そんな毎日を過ごしながら、
たまに元同僚に会って、あぁだこぉだと色々な話をしていて、
ある時、ふと「本当にやりたいこと」について話をしました。

彼と色々話すうち、漠然と自分のやりたいことが、
「ものを作ること」だったんだと気づく瞬間がありました。

自分はすでに存在するものを提案するよりも、
自分が提供したいものを作ることに喜びを感じていると、
彼が気づかせてくれたんですよね。

今は年賀状とやりとりくらいで少しだけ疎遠になってしまいましたが、
それでも彼には本当に感謝しています。

「頭の中のものを具現化する」ための転職

そんな生活をしばらく続けて、ご縁あってアミューズメント関係の会社に転職し、
志望した企画部署での日々が始まりました。

社会人としての基礎と達成感を

ここでの日々はとても充実していました。
上司や同僚に恵まれて環境がとてもよかったのももちろんあるんですが、
自分にとって「社会人の基礎」と言えるメンタルを作り上げることができました。
前職はそんなことを覚える事もなくただあたふたとしていただけでしたから…。

さらに直接的ではなくても「ものづくりを仕事にする」ことができ、
一つ一つをこなしていくことの達成感を味わうことができました。

その達成感はやがて、僕にとっての理想の仕事が何なのかを明確にしていくことになりました。

最後の転職

企画の仕事をずっと続けながら、心の中ではどんどん「あの頃」の思いが強くなっていきました。
高校生の頃受けていた「ホームページの作り方」の授業で味わった感動・・・。

自分が作った画像や書いた文字がモニター上にすぐ表示される。
これって作り方次第ですごいものができるんじゃないのか?
すごい、これが自分の仕事だったらどんなに楽しいだろう?

日々行っていた企画の仕事が、時間が経って忘れていた気持ちを呼び醒ませてくれました。

その時すでに結婚をしていましたが、
自分の気持ちを抑えられず意を決して転職活動を行い、
また縁があり今度はデザイン会社に転職しました。

あの時事情を理解してくれて快く送り出してくれた上司や同僚の皆さんには本当に感謝しています。
今でも年末年始に飲みに行ったりはしています。

精神的に追い込まれたデザイン会社での日々

正直な話、デザイン会社での日々は思い出したくないものばかりです。
だからと言って、極端に帰りが遅いわけでもなく、
殺人的な仕事量をこなしていたわけでもありません。

みなさんが想像されているような、よくあるブラックなデザイン会社のそれとは違いますが、
仕事やデザインとは関係ないことで味わったことのない「耐え難い苦痛」を感じていました。

自分が作ったものに意見をもらえるというのは成長するためにとても大事ですし、
それによって自分の持っていないデザインの基礎的な部分を吸収できたことはとても感謝しています。
それでもどうしても耐えられないものが絶えずつきまとっていました。

ノイローゼと言ってもいい状況だったと思います・・・。

息子のために

それでもなんとか頑張れたのは、生まれたばかりの息子のおかげでした。
彼の顔を見るととても幸せな気持ちになれたし、何でもできると思えました。

もちろんデザイン会社でそのまま仕事を続けるという道はあったかもしれません。
けれど、このまま続けても家族を悲しませてしまうことになるかもしれない。
この子を悲しませることはしたくない、その一心で自分を奮い立たせ、デザイン会社を辞めました。

結果的にそれが最良の選択になりました。
収入面もそうですが、様々な面で改善をすることができました。

決意の独立

独立した理由は「子供と一緒にいたいから」という至極私的な理由です。
もちろん転職して安定した生活を、とも思いましたが、それよりも小さい頃の子供の成長を見届けたいという思いが強く、自宅で一人で仕事をしてみようという結論に至りました。

嫁の最大限の理解

何よりも、嫁が全く反対せず、最大限の理解を示してくれたことで、
「彼女とならどんな状況でもやっていける」という自信にも似た感情を持つことができました。

フリーランスとして生きる、ということは、すべての責任を自分が負う、ということです。
それすらも「一緒に背負ってあげるから」と理解してくれた彼女には感謝してもしきれません。

彼女に一度言われたことがあります。
「きっと会社員には向いてないんだよ」と。

・・・その通りです(笑)
よくわかってらっしゃいます(笑)

本当にいいお嫁さんをもらいました。

遠回りはしたけれど

独立までに様々な仕事をしてきました。
光回線の営業職ではネットの便利さや素晴らしさを改めて感じ、
企画職では自分が創り出すことのなんとも言えない達成感を味わいました。

最初から明確な目標を持っていたわけでも、偶然たどり着いたわけでもありません。
実に遠回りで無駄な時間を過ごしていたのかもしれません。
しかしその遠回りや無駄な時間はここにたどり着くために必要だったんだと今は強く思います。

たどり着いたからには、天命を全うするまで、ですよね。

龍弥デザインは皆様とともに

いろいろな方々、いろいろな環境、いろいろなプロジェクトと巡り合えたことで、
龍弥デザインは今日も誰かのプロジェクトのお手伝いをすることができます。

これからも愛する地元、岡山の皆様とともに、
龍弥デザインの龍弥デザインにしかできないお手伝いをさせていただければと思っています。

皆様、いつも本当にありがとうございます。
最大限の愛を込めて。

龍弥デザイン 脇坂 基徳

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